23才の時、“人生でいちばん痛い”と思ったいぼ痔の手術をしました。

そのたった1年半後の初夏のある日、
“人生でいちばんの痛み”
があっけなく更新されたのです・・・
(今回の内容は当時の日記などの記録がなく、自分の記憶だけで思い出して書きますので、間違っている部分などもあるかもしれません。あしからず。)
いつもと違う痛みに襲われる
ある日の午前中のこと。

なんかお尻が痛い…
ヒリヒリするような、熱いような、腫れているようなかんじ。
いぼ痔の術後は、プックリがこんにちはすることはなかったものの、
体調によってはたまにヒリヒリしたりすることもあったので、

まぁいつもの調子悪い時みたいなかんじでしょ、そのうち治るでしょ。
と特に何もせず様子を見ていました。
しかし、その日仕事が休みで部屋でまったりしていると、どんどん痛みが増していき、
その痛みは明らかに今までの痛みとは別物になっていきます。

絶対お尻のどこかが腫れてる!
そう思って鏡でお尻を見てみても、プックリさんがいるような感じもなく、見た目は異常なさそう…
(お尻の表面の皮膚の部分は少し赤く腫れていたかもしれません。)
しかし夜になると痛みはピークになり、熱も39℃くらいまで出る始末。

これは完全におかしい!観念して明日朝イチで病院に行こう・・・
その日は市販の解熱鎮痛剤を飲んでなんとか寝ました。
二度と来ないはずだった肛門科医院へ再び…
次の日。
職場には病院に行くので遅刻することを伝え、1年半前にお世話になった病院へ。
もう用は済んだはずの、もう来ることはないだろうと思った、
あの病院にこんなに早く再び来ることになろうとは・・・
診察してもらうと、なんだか触ったりした感じと私の症状から先生は何かピンと来たようで、
すぐに処置をすると言われました。
なんだかバタバタ用意をし始める看護師さんたち。
あれよあれよと言う間に、私は処置台の上にうつぶせに寝かされていました。
麻酔はたぶん局部麻酔とかをされたと思います。意識はしっかりありました。
あっというまに処置(切開・排膿)
しばらくすると、手術着を着た先生が登場。
いぼの手術の時もだったけど、先生のポリシーなのかルーティンなのかわからないけど、
手術中は手術室でクラシックの曲をかけながら手術をします。(こういう先生って多いのかな?痔ろうの手術は別の病院で受けたけど、そこの先生も手術中はクラシックをかけて手術をしてた…)
流れ始めるクラシック。
漂い始める肉が焦げるにおい。
「痛いけど、がんばってねー!」的なことを言いながら、
痛みで悶絶するわたしの足を抑える看護師さんたち。
「がんばるしかないんでしょ?」というかんじで悟りを開こうとしましたが、
あまりの痛みにずっと力を入れて手をぎゅっと握りしめ、目もぎゅっとつむり、
ただただ耐える時間が20分くらい続きました。
麻酔をしているとは言っても、お尻の患部の深部が痛い感覚はしっかりありました。

クッソ痛い!ちくしょー!
謎の涙腺崩壊
そして、処置がおわり、先生や看護師さんたちに
「お疲れ様!よくがんばったね!」
と讃えられたあたりから涙腺が崩壊しました。
号泣する25才をなぐさめる看護師さんたち。
号泣しているものの、頭の中はなぜか冷静で、号泣するつもりはなくて、
泣き止もうとするけど自分の意思とは関係なくしばらくの間涙が止まらないのです。
痛みを我慢しすぎると、人間って意思とは関係なく涙が出てくるんだと知りました。
私も恥ずかしいし泣きたくないのに、なぐさめられると余計涙があふれてくるもので・・・
泣きやむことができぬまま、いろいろ説明を受け、会計を済ませ、病院をあとにしました。
安心するとさらに泣けてくる…
病院を出て、バス停まで歩きながら職場に電話しました。
まだ昼過ぎくらいで、職場に戻れる時間だったし、
先生にこの後仕事をしていいか尋ねたら「無理をしなければOK」と言われたのですが、

こんな痛い思いをした直後に仕事なんてやってられるか!!
と思ってそのまま休むことにしました。
(接客業で結構バタバタと動かないといけないこともあったので念のため…)
その電話をとってくれたのが仲の良い同僚で、
その子の声を聞いたとたん、再び涙があふれ出てきました。
ひっくひっく言うくらい泣いたと思います。
この涙は安心というか、気が抜けたというか、そういう感情による涙だったと思います…
コメント
こんにちは。
私は26歳の女です。
同じように本日肛門周囲膿瘍の切開をしあまりの痛さに号泣しました。
切開後の生活についてお尋ねしたいのですが、
ウォシュレットやお風呂は通常通り使用しても大丈夫でしたか?
ご意見頂けたらと思います!